鹿児島を代表する陶器工芸品 薩摩焼。
薩摩焼の歴史を紐解くと遥か昔、安土・桃山時代にまでさかのぼる。その舞台となったのは鹿児島県の美山町。
陶の郷 苗代川
多くの窯元を有する『美山』は鹿児島市からほど近く鹿児島本線で鹿児島中央駅から日置市『伊集院駅』からタクシーで15分くらいの山道を進んだ集落の中にあります。
ここで生まれた『薩摩焼』は朝鮮半島から半ば強制的に連行されてその場で暮らさなくてはならなかった陶工たちの物語から始まる。
慶長三年(1598年)薩摩藩17代藩主『島津義弘』が豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征『慶長の役』帰国の際に朝鮮国の陶工を約80人程連れ帰りました。
その中の半数くらいが鹿児島県の串木野平に着船しました。k
その後、串木野から伊集院郷 苗代川**現在の日置市東市来町美山に移住し、島津藩の庇護のもとで開窯をしたのが『薩摩焼』の始まりとされています。
美山地区(薩摩焼の里) | 観光スポット | 【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅
『御定式窯跡』
1748年の頃、藩の御用窯として開かれた登り窯跡。
連房式の窯が二つあり、白薩摩、雑色釉物、染付白磁などを焼いていました。明治元年に廃窯されました。
今は雑草に覆われてかたちがなんとなくわかる程度です。
主要道路から山道に入ったところにあります。
『緋色窯』
電話番号:099-274-2287
住所:日置市東市来町美山410-1
営業時間:
10:00~18:00
休み:
なし※臨時休あり
右手には美山池があり、昔懐かしい山里の風景で紫陽花の花が自然に群生しました。
遠くの山の木々のかたちも美しい。
気持ちよく抜けた空間がありベンチなどで休む場所もあります。
白い紫陽花は立派で生命力があります。
『樟脳製造創業の碑』
着物や衣服の防虫剤として使う『樟脳』は薩摩のこの地が創業の場所。
島津義弘が当時の朝鮮から連れて帰った陶工『鄭宋官』が製造法を開発して創業。
国際的にも『東洋の白銀』と呼ばれて重宝されていたらしい。
ここは窯元の家の生垣。当時朝鮮から連れてこられた陶工たちとその家族。
陶工たちは武士の身分階級は与えられましたが、武士の住まいの面影が直線で刈り込まれた生垣に表れているように思います。
仙巌園にも同じような様式の生垣がありました。
『仙巌園の生垣』
陶工たちは武士の資格階級とはいえ薩摩のやきものの技術が外に流出するのを防ぐため国境(くにざかい)から決して出ることは許されなかったようですね。
当初彼らは土探しから始めて薩摩焼を芸術の域まで高める礎を築き上げました。
沈壽庵窯の佇まい
やきものを芸術の域まで高めた『薩摩焼』。
その歴史を踏まえて文献・資料など後世に残しているのが『沈壽庵窯(ちん・じゅかんがま)』です。
慶長三年(1598年)、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征『慶長の役』の帰国の際に連行された多くの朝鮮人技術者の中に、陶工である初代『沈 当吉』はおりました。
初代『沈 当吉』から四百年あまりの歴史のある『薩摩焼』を世に知らしめた窯元でもあります。
沈壽官窯の門構え
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現在は15代沈壽官が当主となられています。
木々が自然に且つ手入れがされています。
庭に大きな壺を逆さにして置いてあります。
玄関先にも黒薩摩の壺
左手前方に宮島の登り窯の窯場が見えています。
手前の円形の煉瓦積みの工法は韓国の窯なのでしょうか。
それぞれ3日間の窯詰め、焼成、冷却を終えて窯出しをします。
窯場から裏手の工房への庭
右手側に成形、絵付けなど行う場所か
ロクロ成形【製作工程】 沈壽官窯 || Chin Jukan
1867年のパリ万国博覧会で、薩摩藩は江戸幕府とは別の独立したパビリオンで参加したことは有名なお話。
国際的な場において薩摩の伝統工芸品として多くの『薩摩焼』が展示され、世界に向けてその存在を強くアピールしました。
薩摩焼 沈壽官窯 沈家伝世品収蔵庫より
透かし彫り【製作工程】 沈壽官窯 || Chin Jukan
黒薩摩
白薩摩
生前の司馬遼太郎さんと2019年に亡くなった14代沈壽官のお二人はおおいに交流があり、短編『故郷忘じがたく候』は朝鮮陶工たちの望郷の思いを題材にし14代沈壽官は主人公としても登場します。
NHKスペシャル『街道をゆく』の『肥薩のみち』の映像の中でも彼のその人柄などが紹介されています。
■沈壽官窯公式ホームページ
〒899-2431
住所:鹿児島県日置市東市来町美山1715
TEL 代表 099 274 2358
TEL 売場 099 274 0305
開館時間:午前9時00分~午後5時
定休日 : 第1・第3月曜日
下記サイトでオリジナル商品を販売しています。
よろしくお願いいたします。