ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムが1961年に発表したSF小説『ソラリス 原題:Solaris』とソダバーグ版の映画『ソラリス』タルコフスキー版の映画『惑星ソラリス』を比較してみる。
『スタニスラフ・レム』
東欧ポーランドのSF小説家。『宇宙創世記ロボットの旅』『エデン Eden 』『砂漠の惑星』などの寓話的SF小説などがあります。著書として翻訳された言語はいくつかあり、世界で最も多くの人に広く読まれているSF作家と言われいます。
『ソラリス』作品の独断的な比較ポイント
SF小説『ソラリス』:ストーリーの原点を知るならこちら
SF小説『ソラリス 原題:Solaris』邦題は『ソラリスの陽のもとに』。1972年に発表されたソビエト連邦時代の名作SF映画『惑星ソラリス』、2002年版の『ソラリス』の映画のストーリーのもとになった小説だ。
この小説はイマジネーション溢れる文章表現が素晴らしい。
日本人が共感する日本語の翻訳が的確ということですね。
特にこの海の表情やそして景色を表現している文章が秀悦です。この惑星自体が生きていて、有機体で生き物のような存在であることが文章で書かれています。
惑星の海は人のかたちを創造し、人の姿に変異させる発想に驚愕させられます。
『スタニスラフ・レム』の日本語訳のこの小説は非常に読みやすく逆に『フィリップ・K・ディック』小説はやや読み難いですね。『フィリップ・K・ディック』の小説は映画『ブレードランナー』のもとになった『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が有名です。
ソダバーグ版 映画『ソラリス』:スタイリシュで不可思議さを演出した映画
生き物のような活動をする惑星『ソラリス』。主人公ケルビン博士は内部で発生するさまざまな奇妙な現象と惑星の謎を探査します。宇宙船の映像はとても静か。
乗組員の精神が苛まれている心情を静かに描いています。
スタイリッシュな映像で表現しているのが素晴らしい。
映像では人間のこころの中にある記憶や心情、精神状態を描いている。
そして現れる自殺して死んだはずの恋人ハリー。
恋人の美しさも相まってその存在が人間ではないことを更に強く感じさせていました。
ケルビン博士は自殺した恋人のトラウマから逃れられず苦しめられる様子が映像で伺えます。その心情を音楽と役者の表情と所作で静かにみせていますね。
博士の苛立ちと困惑を映画を観ている者に強く感じさせます。
SFでもあり哲学的でもあるこのストーリーをソダバーグ流の解釈で映画化しています。
タルコフスキー版 映画『惑星ソラリス』:人の秘めた心情を映像で表現している映画
このタルコフスキー映画はスタンリー・キューブリック監督のSF映画と比較され、SFの名作映画と言われています。
この世には既に存在しない愛する人や愛おしい記憶を描いています。
小説の中でも描かれる海の映像のシーンは美しく、プラズマ状の光がきらきらと波間を揺らいでいるシーンは印象的でした。
哲学的な要素が強く、感情や心的トラウマに入り込み、実体のない現実を人間に突きつけてくる。
それは他人とは共有できないもの決して触れてはいけない領域でもある。それを映像で描いています。
宇宙ステーション船内の映像はミッドセンチュリー風インテリアに昔の潜水艦のような丸い窓がやや辛い古い感じがします。1972年の映画だから仕方ないですが。
タルコフスキー版は原作にはない"プロローグ(地上の現実)"のシーンが出てきます。なんと日本の東京の首都高速が映し出されています。カタカナで某メーカーの車種のネオンサインが出てきます。
1972年夏、ロケ撮影のためタルコフスキー監督は日本に来日したそうです。
そしてこの映画はもうひとつの惑星のエピローグ(惑星の未来)の2部構成になっています。
最後に
スタニスラフ・レムは、なにかに圧倒的な出来事に対峙した時の無力感と喪失感
そして罪の意識などに苛まれてしまい精神的に追い詰められる世界を描いています。
これは3作品に共通してそれぞれの監督の解釈で表現されています。
惑星の海は人間の心の中を探り苦しめることが目的なのか、なにかのかたちで人間を試しているのか、人間に接触(コンタクト)をして理解しようとしているのか。
それは謎のままです。
ceramicsstarでした。
■小説『ソラリス』 (ハヤカワ文庫SF)
■映画『ソラリス』スティーブン・ソダバーグ版
■映画『惑星ソラリス』アンドレイ・タルコフスキー版
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