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家族って一筋縄ではいかない

先日放映されたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』は父ひとり娘ひとりの不完全な家族のことを描いた秀悦な脚本でした。

自分の親や家族のことを書いてみます。

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人間関係とは

家族の関係性ほど難しいものはない。

親しい友人であればトラブルがあっても仕方ないと飲み込んだり、他人であれば付き合いの数を減らしていけばよい。

どうしても事情があって無理であれば関係性を絶ってしまえば悩まなくてもすむ。

 

家族だって親子断絶、夫婦離婚で関係性を絶ってしまうことは可能ですが、そんなに簡単なものではない。

 

わたしは親族に気を使い過ぎだとよく言われる。

両親が存命中は親族になにかと気にかけて貰い、お世話になったかもしれない。

だからと言って子どもの代まで色々と気を回し過ぎなくてもよいのでしょうね。

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親子とは

年間通して盆暮れ正月に実家に必ず帰省すると言う概念はあまりなかったので、連休で混雑して疲れるだけの長期休暇には帰らず、時期をずらして年に数回程度帰るだけだった。

若い頃の父親は子どもの頃から理不尽に厳しく、ろくに口も聞いたこともなかった。

その後就職して仕事や人間関係のことなどもよく話をし、お互いの家の事情ことなど男同士で口にしなくとも理解していた。あれほど毛嫌いしていたのに父はよき理解者だった。

妹家族とは今まで同じ関東圏に住んでいながらもお互いの行き来は全くと言っていいほど無い。家に訪問したのもただ一度だけだ。

 

生前の母親はどうかと言うと様相が異なる。

親の愛情だとはわかるのだが重く押しつけがましいところがあり、面倒なところがよくあった。無言の圧や言動の裏にもう勘弁してくれと言う場面もいくつかあったように記憶している。

 

それが最近自分も同じだと言う指摘があり愕然とした。感情的になるところも同じらしい。

言われた状況を理論立てて聞きき、冷静に考えると確かに思い当たるところがいくつかある。

 

善かれと思ってやっていることも相手側にとっては恩着せがましく不快でうんざりする様てある。

しかしこれは母の遺伝だ。

 

自身を一瞬振り返り、言われた相手に対しての不快感はなく、自己嫌悪に陥り急激に自分が急に嫌になり、憂鬱になった。

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夫婦とは

夫婦とはお互いの立場を理解し、相手を大切にし思い合っていたかが重要ではあるが、それも時間という残酷な現実とともに大きくその姿を変えていく。どう受け止めて良いのかよく考えることがある。


『夫婦なんて時間が経つと空気みたいなものだ』それは大きな誤りである。

そう感じることは一瞬あるかもしれないが、目をそらしてしまうと相手側の傷ついた心や後悔の置き場はどこにも無くなる。

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生前の父母の夫婦関係

自分の両親の夫婦間のことはまったく知らない。

ましてや両親のお互いの感情などは聞いたところでどうしようもない。

父と母の出会いは父の妹である職場仲間の叔母の紹介だったと聞いている。

 

これは父の葬儀の時の出来事である。 

正月明けの乾燥した寒い日だった。父の葬儀の日は夕陽がむなしく綺麗だった。

その夜の母は愛する夫に先立たれた可哀想な妻であり母親だった。

 

告別式も終わり会食時に叔父・叔母たちの話の中で父親が若い頃に結核を患ったことがあることを知った。

 

夜も更けてきて親族が帰り、妹と母と3人になりポツリと漏らした言葉に耳を疑った。

『お父さんが若い頃に結核だったことは知らなかった。。その時そうだと知っていたら結婚なんかしなかったわよ。』

 

わたしも妹も言葉を無くして顔を見合わせた。

心の中で『えっ。それ今この葬儀の場面で言うことか。』

あれだけ御棺の前で泣き崩れて涙した母親の姿はなんだったのか。

父が亡くなったのは悲しい事実なのだが拭い切れない母親の感情が理解不能。

夫婦の関係とは不思議だ。

 

『死人に口なし』の父親もさぞあの世で呆れて笑っていることだろう。

 

振返って考えることがある。

生前の年老いた父と母は先の人生の話をしていたのだろうか。

特に改まっての話をしていたようにはとても思えない。

 

父が亡くなった後のさまざまな書類手続きことを母は全く分からなかった。

『夫婦なのになにも知らない、聞いてないなんてもういったいどうなっていたんだ』と叫びたくなった。

 

兄妹で一切わからないことを紐解く様に銀行、区役所、税務署を駆けずり回ったあの時間を考えるとなんと無責任な。

 

父も母も自分の子どもたちはそれぞれ遠くに居を構え、残されたあの家で老いとともに変化して行く人生をどのように受け止めていたのだろうか。

深刻な話はせず、日々淡々と眺めるような日常を過ごしていたのだろうか。

そんな母も父が亡くなって2年後には他界して聞く術もない。

 

自分が死んだ後のこと。

最後は目を背けずにしっかりとわかるようにしておこう。

それが残された者への礼儀でもある。

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