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香月泰男の世界『シベリア・シリーズ』

香月泰男の大回顧展 『生誕110年 香月泰男展』が練馬区立美術館で開催されました。待ちに待ったこの展覧会 わたしは後期の期間に出掛けました。
前期:2月6日(日)~3月6日(日)
後期:3月8日(火)~3月27日(日)

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練馬区立美術館

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今回の展示リーフレット

現在は足利市美術館に巡回中で5月29日まで開催されています。

足利市立美術館

 

香月の絵画に出会ったのは20代の頃で大きな展覧会を行われたのは2003年~2004年。東京ステーションギャラリーの展覧会を見逃してしまいました。

これを見逃して大変後悔しました。その後、2012年3月『ちひろ美術館』で開催された『ちひろと香月泰男』展では絵の展示数も少なかった。

https://chihiro.jp/wp-content/uploads/2017/06/2012_3-5_release.pdf

2018年10月の新宿の平和祈念交流記念館で開催された平和祈念交流展『シベリアの記憶 家族への情愛~香月泰男展』には各時代の作品が網羅されていなかった。

平和祈念交流展「シベリアの記憶 家族への情愛~香月泰男展」 – 平和祈念展示資料館(総務省委託)

そして2021年この大回顧展を迎えました。

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今日は天気もよく快晴。高鳴る気持ちを落ち着かせて いざ!

時間もたっぷりあります。

 

今回の大回顧展のみるべきポイント

・『シベリア・シリーズ』全57作品を堪能できる。

・一部『シベリア・シリーズ』の絵肌をガラス越しでなく至近距離で確認。

・時代とともに変化する香月の絵のスタイルを知る。

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憧れの画家

香月泰男は山口県長門市出身の画家です。絵画の題材として有名なのは『シベリア・シリーズ』。戦後のシベリア抑留経験者で死と隣り合わせの過酷な時代体験を後世、画題として表現した画家です。

そしてわたしの憧れの画家です。

今回の練馬美術館で開催された『生誕110年 香月泰男展』は彼の生前の絵画の全容を知る上での大規模な回顧展示でした。

 

私の好きな香月の『シベリア・シリーズ』ベスト4作品

①多くの人物の顔と埋葬される死者を描いた《涅槃》1960年

②たくさんの頭蓋骨の上に戦車のキャタピラー跡を残して描いた《凍土》1965年

③蟻になった気持ちで巣穴から見上げるシベリアの青い空を描いた《青の太陽》1969年

④火に包まれる兵舎と抑留者を移送する貨物列車を描いた《業火》1969年 

『シベリア・シリーズ』

香月泰男は戦時中の1943年4月に戦地に召集され、当時の満洲のハイラル市に配属となりました。終戦後は多くの日本人が旧ソ連の捕虜となりシベリアに抑留されました。

彼はクラスノヤルスク地区のセーヤ収容所で過酷な捕虜生活を過ごしました。この時死にゆく置き去りの戦友を見つめながら、その情景を記憶の中やスケッチなどに留めました。

過酷な生活の中で広大なシベリアの大地や夕陽の美しさに癒され、描くことでの希望を胸に生きることは諦めませんでした。

そして望郷の念を抱きながら4年間を生き抜き、1947年に日本に帰国しました。

『シベリア・シリーズ』は人間の尊厳と平和への祈りを込めて描き上げたものです。
 この戦争やシベリア抑留生活の苦悩の記憶を描いたシリーズ全57点は香月の代表作です。

今回『シベリア・シリーズ』の大作が並ぶ空間に身を置き、その絵画に圧倒されました。絵が展示された荘厳な空気の中、キャンバスに描かれている世界はまさにロシア正教の『イコン』を感じさせるような鎮魂の絵画でした。

過酷な運命に対峙し、描かれた群像の顔は不安、苦痛、哀しみ、絶望、渇望に溢れています。心の奥底にある人間の業や無常感をも感じさせます。

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香月が戦時中に持ち続けた飯盒

『シベリア・シリーズ』のマチエール

『シベリア・シリーズ』のさまざまな人物の顔には特徴があり、風景は単純化されてシンプルに表現されています。

絵画の技法は黄土色ベースの油彩に重厚で独特の黒の絵肌(マチエール)を追求したものです。

黄土色・褐色系の油絵具と日本画の画材である*”方解末”を混合したかなり厚みある下地を作っています。

その上に、木炭の粉を溶剤で溶いた光沢の無い墨色の絵具で仕上げられています。

これにより深く奥行きのある質感を出すことが可能になり、彼独自の表現手法として確立されています。

*方解末:日本画用の天然岩絵具。膠(にかわ)で練って日本画の絵具とし使用します。

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香月が使用した油彩パレットとペインティングナイフ

香月泰男の人物像

香月泰男がハイラル市で描いた家族宛の自筆の絵葉書はとても暖かい。

ふるさと三隅の自然を愛し、母子や家族を題材とした絵画や、廃材を利用して作った『おもちゃ』と呼ばれたオブジェなどは本来の香月の家族に対する深い愛情やユーモアを感じさせます。

長門市三隅で暮らしていた頃は暖かい家族に囲まれ幸せな時間を過ごしていたのではないでしょうか。晩年は生まれ育った長門市三隅で亡くなる直前まで創作活動を行いました。

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シベリア抑留の中、片時も手放さなかった絵具箱

二段式になっていて底にスケッチなどを隠していたそうです。

最後に

今回の『大回顧展』の特徴として、香月の画業を制作年代順に並べています。

香月泰男が抑留生活前のキュビズムの影響を受けながらの模索し、穏やかな色彩の牧歌的な絵画、色を抑え排除した『シベリア・シリーズ』、そして家族や海外の風景を描き色彩に回帰しています。

次の南米への旅の予定をたてながら、新たな絵画の方向性に向かう道半ばで1974年3月8日、自宅で心筋梗塞のため63歳で急死してしまいます。

きっと世界の平和と安息の日々を願いながら亡くなったのではないでしょうか。

イーゼルには『渚(ナホトカ)』が掛けられたままだったそうです。

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今後、香月泰男の絵画がどのように変わっていくのかを見ることが出来ず残念でなりません。美術館の階段に書かれた彼の言葉が印象的です。

”シベリヤで私は真に絵を描くことを学んだのだ。それまでは、いわば当然のことと前提にしていた絵を描くことができるということが何者にもかえがたい特権であることを知った。描いた絵の評価、画家としての名声、そんなことは一切無関係に、私は無性に絵が描きたかった。”

ただ絵を描きたいと言う純粋な衝動にかられる気持ちが伝わってくる言葉です。 

www.neribun.or.jp

 

kazukiyasuo.com

 

■シベリア抑留の収容所の過酷な日々を感情豊かにリアルに表現したノンフィクション。追体験ができる一冊です。

■香月の描いた個々の絵画の背景や想いを克明に解説した本。絵画を通して何を語り伝えたかったが理解できます。

 

下記サイトでオリジナル商品を販売しています。
よろしくお願いいたします。

minne.com